Posted by 日本人 on March 09, 1997 at 00:59:30:
だいぶ前に、日本の国際空港の外国人を意味する英語表示が "ALIEN" であった事が朝日新聞紙上であげつらわれ、ちょっとした騒ぎになった事がある。ご記憶の方もあるだろう。
映画のイメージを念頭に「外国人をエイリアンあつかい」といったニュアンスで報じられ、案の定その線に沿った「日本人の国際性欠如のあらわれ」などの"教科書どおり"の投書が朝日「声」欄に続出した。
ところが実際には "alien" は単に「外国人」をさす言葉であり、"foreigner" のような場合によっては侮蔑的な響きもある言葉とは違って、きわめて「穏当な」単語だったのである。
「日本人の国際性欠如のあらわれ」とは騒ぎを起した朝日新聞と、その趣旨を「理解」した一部読者について最もよく当てはまるのではないか。
"alien"の逸話は、「国際化」をお題目のように唱える人々の中にこそ、国際的視野に立ってみるときわめて常識外れな主張をする人が多々見られるというほんの一例である。
朝日新聞の「忠良なる読者」たちをはじめ、民主党や新進党の一部などにも支持を広げ、すでに行政サイドにも迎合者の出始めている在日外国人選挙権付与、および公務員任用時の国籍要件撤廃を求める動きもまた、そうした主張のひとつである。
このふたつの動きはもともと、在日本大韓民国民団(民団)など韓国系の在日の人々による日本の政府、自治体に対する運動として始まったものである。彼等の意図については後述するが、まず真の国際的視野を持ち合わせていない日本人側迎合者について述べる。
日本人側迎合者、とくに政治家や政治勢力に見られる顕著な特徴はこの動きに対して積極性を表明することによって獲得できる(と彼等が信じる)「リベラル」なイメージをほとんど唯一の行動目標とし、現実に外国人選挙民や外国人公務員が登場した後に発生するかもしれない、諸々の問題については全くの思考停止となっているかのように見える事である。
中曽根「御大」に「アイスクリーム」と揶揄された「友愛」の民主党、「自民党左派」と呼ばれる白川自治大臣、若さと新しさが「売り」の橋本高知県知事、「庶民の味方」横山大阪府知事、そして「石頭の既成右翼」と違って「話がわかる」ところを見せつけたい、自称「新右翼」一水会、などなど。
目先のイメージに過ぎない「リベラル」さをアピールせんがために、国家や権力の根幹に関わる問題を無責任に論じられてはたまらない。
彼等は他民族や、歴史を甘く見すぎている。
帰化しようと思えばいつでも帰化できる在日韓国人団体があえて「韓国人」のままで、一体感を持った政治勢力となることを求める意味は何なのか。想像力を働かせてほしいものである。
また韓国や北朝鮮は日本にとってどういう「お隣さん」なのか、世界中のどこに外国籍のままの外国人国会議員がいるのか、真の国際的視野に立って考えてみてもらいたい。
確かに現在は選挙権は地方のみ、公務員は管理職にしない、といった限定条件をつけた動きだが、「地方選挙権だけならいいか」「管理職にしなければいいか」といった中途半端な対応は禍根を残す。
地方選挙権を得れば選挙権要求運動が終息する、などと本気で信じている人はいないだろう。
それが実現すれば「なぜ国政選挙はだめなんだ」「同じ仕事をしているのに管理職になれないのはおかしい」と要求がエスカレートするのは火を見るより明らかである。
そして「国籍がなくても(地方選挙では)投票できる」「国籍がなくても公務員になれる」という「実績」を一度作ってしまえば、エスカレートした要求に対する説得力ある反論は不可能である。
なぜなら「同じ仕事をしているのに管理職になれないのはおかしい」というのは全くもっともなことだからである。
運動団体はそこまで読んだうえで、「(まずは)地方選挙権を」と訴えているのである。
したがって「選挙権や公務員資格には国民であることが必要」という原則は、国家が「国民国家」である限りどうしても動かしがたい、という事をしっかり再認識する必要がある。
次に運動の当事者である在日韓国人についてである。
日本は諸外国に比べると帰化の要件が厳しい方である。しかし、それは「連続した在留年数」といった類いのことで、在日韓国、朝鮮人が帰化しようとする場合には制度的な障害は存在しない。
つまり、在日韓国、朝鮮人は帰化しようと思えば簡単に帰化できるし、実際そうしている人も多い。
また、彼等が国籍を持たないまま選挙権を得ようとする動きに反対する人は少なくないが、彼等が帰化して日本人になることや、それによって選挙権を行使することに反対する者などどこにもいない(民団はどうかしらないが)。
要するにこの件に関して「民族差別だ」という非難はあたらない、ということである。もし民族差別主義者なら他民族が日本に帰化して国籍を得ることにこそ、反対するであろう。
では、争点は何なのか。
第一点は先にも述べたように選挙権問題は決して地方選挙権付与だけではすまず、また一度公務員に採用すればいずれ必ず管理職登用問題が持ち出されるであろうこと。にもかかわらず、運動主体の民団がそのことに頬被りする戦術をとっていることである。
これについては民団とは別の組織で在日党というのが有り、その代表李英和氏は選挙のたびに立候補の届けを出そうとしてわざわざ断わられるというデモンストレーションをやっているのでご存じの方も多いと思うが、「当然のように」国政選挙にも立候補の届け出をしようとする(そして断わられる)。
在日党の運動はしたたかな民団とは違って大変「正直」なものであり、韓国系団体の最終目標がどこにあるのかをよく物語っている。
第二点は彼等があくまでも "外国の" 国籍にこだわっている点である。
二世、三世、四世など日本で生まれ育った人も多いにもかかわらず、断じて帰化を拒み続けるということはそれだけ「国家としての故国」への一体感が強い事を意味する。
「民族的に日本に同化したくないから帰化しないのだ」というのは全く説得力をもたない。
日本を含め世界各国に散らばる華僑はそれぞれの国で国籍を持ち、それぞれの国の「国民」になっているが民族的独自性は(中国生まれの中国人ほどではなかろうが)ちゃんと保っているではないか。(韓国系アメリカ人もそうだ)
つまり日本で生まれ育ちながら"外国の" 国籍にこだわるということは「民族としての故国」ではなく「国家としての故国」にこだわっているということであり、日本人側から見れば「外国に愛国心をもっている」ということになる。
そして少なくとも人類史の現段階では公的権力は国民国家に由来するのである。
したがって民団や在日党が現在の国籍にあくまでこだわるなら、真にすべきことはいわゆる「本国参政権」取得運動であろう。
第三点は在日韓国、朝鮮人が国籍を離れることもないまま一斉に選挙権を得るということは、(たとえ地方選挙であっても)民団や朝鮮総連がその組織のまままるごと日本の有力な政治的圧力団体として君臨することを意味するということである。
労働組合や宗教団体、特定郵便局長会に至るまで日本には大小、強弱、さまざワの政治的圧力団体が存在するが、約60万人(現在、永住資格を持つ在日韓国、朝鮮人の数)もの新たな政治勢力が登場することになるのである。
しかも「血」で結ばれた「同胞」である。その強固な結束力はあの創価学会とでもタメをはるであろう。
日本に強固な政治勢力が存在してはならない、と言っているのではない。
民主主義国であるから創価学会でも日本共産党でも大いに政治活動をやればよい。
だが外国政府の影響下にある団体や、外国に愛国心をもつ団体(個々人はそれほどでもないだろうが「団体」としてはそうだろうし、まさにそれが問題なのである)が強力な政治的圧力団体として政府や自治体に影響力を行使することは「亡国」につながると言わざるを得ない。
特に朝鮮総連などは北朝鮮の意を受けた多くの非合法秘密工作への関与が疑われながら、警察さえうかつに手を出すことのできない「治外法権」もどきの団体である。
また民団は「反差別」のスローガンを掲げつつもしばしば「行きすぎ」た「抗議」などが見られ、どちらかと言えば恐がられている団体である。
さらに彼等の本国である韓国、北朝鮮の反日ぶりは今さら言うまでもなかろう。
在日韓国、朝鮮人個々人を非難する意図はさらさらないが彼等の所属する「団体」に問題があるのであり、国籍を変えないままでの公権力への参画はそうした問題ある外国系勢力を日本の公権力に参画させることにつながり、断じて許し難い行為であると言うべきである。