Posted by 金明秀 on April 09, 1997 at 11:06:24:
In Reply to: Re: 国籍論議にたいする,いち在日の心情論 posted by 日吉十郎 on April 08, 1997 at 22:56:01:
: それともう一つ、私は自然科学者で、政治や社会科学は素人なので、ご存知な
: らお教え頂きたく、また質問します。ドイツでは、定住外国人居住者の参政権に
: 関して、どんなシステムになっていますか。ドイツは人口の大部分をドイツ系民
: 族が占める大国(人口および面積的に)という点で日本に近いものがあります。
: 比較的長い、民族としての歴史を有することも共通です。その一方、地方分権に
: おいては対照的です。このような国は他に思いつきません。
僕も専門ではありませんので詳しくはありませんが,散発的に入ってくる情報から判断するかぎり,ドイツはこの問題について大きく揺れてきた,と認識しています。
ご存じのとおり,(もと西)ドイツは55〜73年まで,労働力の不足を解消するためにトルコなどから積極的に労働者を導入する政策をとりましたので,400万人を越える定住外国人をかかえることになりました。統一前の西ドイツでいうと,単純計算しても人口比8%。実際は都市労働者が多いため,都市部の比率はさらに高くなります。したがって,それだけの数の外国人市民を無視して政策を決定するのは問題があるという声は,古くからありました。
でも,議論の直接のキッカケになったのは,おそらくトルコ人が市の選挙人名簿への登録を求めた行政訴訟だったのではないかと思います。これは,84年の二審で,外国人の住民に選挙権を与えるかどうかは立法者の裁量にゆだねられているという判決が下されています。ちょうど,94年10月の福井地裁判決や,95年2月に出された日本の最高裁判決のようなもので,ようするに棄却するけど「違憲ではない」というものです。
その5年後の89年には,ハンブルクでドイツ滞在8年以上の外国人に区議会の参政権が認められ,別のある州でも5年以上の居住者に(制約付きながら)州内各地の選挙権が認められるようになりました。どちらも,革新政党が優勢な地域です。
ちなみに,翌年90年の東ドイツでは,区議会議員選にソプラノ歌手の中田千穂子さん(日本国籍)が立候補したことが知られています。
ただ,その後の東西ドイツ統一をさかいに,揺り戻しがきます。
ハンブルクとシュレスウィヒ・ホルシュタイン州の選挙法改正について,保守政党議員団が違憲審査を申し立てた結果,統一直後の10月末に連邦憲法裁判所が違憲と判断します。したがって,改正法はいったん効力を停止しました。
この揺り戻しに対抗して,革新政党とインテリ層は速攻で外国人の参政権をみとめるべく憲法改正案をつくりはじめます。当初の改正案では,国政レベルでも外国人の参政権を認めようという内容になっていました。(ちなみに,ユルゲン・ハーバマスという,あるスジでは有名な人物も,改正案づくりに参加していました。)
さらに,91年にはフランクフルトで,外国人の中から一定人数の代表者を選挙で選ぶ「外国人代表者会議」が設立されます。これは,川崎市がいまつくろうとしているもののモデルになったと言われています。
そんなこんなで,保守主義と市民主義のせめぎあいのすえ,92年には憲法が改正されたのですが,結局は保守派が勝利し,「EC加盟国の外国人についてのみ基本的に地方参政権を認める」ことになりました。認めると言っても,EUに加盟するためには,いずれにせよ加盟国の人に地方参政権を認めるよう国内法を整備しなければならなかったわけですし,最大の懸案のはずのトルコ人が除外されたままのはずですから。
そこで,93年ごろですか,(EU以外の)外国人の地方参政権が認められないならということで,二重国籍の取得を可能にする法案が議会に提出されます。ドイツは日本と同じく血統主義をとっており,成人の二重国籍は禁止されています。その法案がどうなったのか,まだフォローしていません。
以上を振り返ってみると,日本と似ているようでもあり,違うようでもあり,という感じでしょうか。