Posted by 金明秀 on April 07, 1997 at 23:18:46:
In Reply to: Re: 国籍と参政権 posted by 大塚 恒平 on April 07, 1997 at 18:11:15:
大塚さんは,日本が変わりうる,ということを前提に話をされてますよね。変わるというのは,「民族性を保持した上での国籍取得」ができる状態に,です。手続き的に本名のままの申請が当然視されるといったことだけでなく,朝鮮人蔑視観が根絶され,民族的異質性を排除しないような社会に日本が変わる,という意味です。
でも,単一民族国家観に支配されてきた戦後の日本に,いや,一応の多民族国家観を理念としていた戦中の日本にあってさえも,「民族性を保持した上での国籍取得」を認めるような兆しが,みじんたりとも芽生えたことがありますか? ミジンは言い過ぎですね。まぁでも,社会の主潮流になるとは言わないまでも,そういう主張が無視できないほどの勢力になったことさえ一度だってありますか? あるいは今,そういう具体的な変化の兆しが,少しでもありますか?
これは,かつての大塚さんとの議論でも僕が問題提起したことです。当時の僕の認識は,そんな兆しはいっさい認められない,というものでした。そしてその認識は,今でもかわっていません。
現実に存在しない,したこともない変化を想定しているという意味で,以下の質問はそもそもナンセンスです。
: その一般的でないというのは、現時点での日本の現状ではとても国籍取得(=帰
: 化)などできないという事でしょうか? あるいは、日本の今後のあらゆる変化
: に関わらず、日本の国籍など取る気は決してないと一般的には考えられているの
: でしょうか?
【中略】
: もしくは、現状の日本では国籍を取る気はない、日本側に変化があったら取るか
: もしれないがまず今の日本を見る限り変化する兆しは見て取れないから、まず国
: 籍を取る気はないという事でしょうか?
一般にということで言えば,帰化するかどうかということを考えてもいない,というのが実情に近いところだと思います。言いかえると,現状の帰化にともなうさまざまな困難を乗りこえようと思うほど,積極的に日本の国籍をほしいと思うような状況にはない,ということでしょう。
事情をよく知らない人は安易に「帰化すれば?」と言いますけど,日本に帰化をするというのは,心理的,社会的,経済的に,そして手続き的にも,それほど簡単なことじゃない。強い意志を持って,一念発起のもとに勢いでやってしまわなければ,なかなかできないことです。
そしてそれをやったからといって,一般にはたいしたメリットがあるわけじゃない。選挙権が手に入ること,外国人登録証を持ち歩かずにすむこと,ぐらいですね。いくつかのマイナスがゼロに戻るだけです。日本国籍を取ったら差別されなくなるかといえば,決してそんなことはない。選挙権があるから政治的発言力が増すかというと,それも帰化者が散発的にしかみとめられない現状では,そんなこともない。
逆に,外国人であることに起因するメリットがなくなってしまうことだってあります。たとえば,細々とおこなわれている民族教育は,韓国籍,朝鮮籍をもつものしか対象になっていないので,それを受けられなくなってしまいます。とりあえず圧力団体として機能している民族団体からも,はじきものにされてしまう。
「民族性を保持した上での国籍取得」などという,架空の理想状態を想定するのはけっこうです。でも,近い将来にそれが実現するという前提のもとに議論がおこなわれるとしたら,それは無意味などころか,有害でさえあります。
: また、先の明秀さんとの議論では、民族性を保持した上での国籍取得制度を作る
: 方が定住外国人への権利拡大より困難だという結論でしたが、最近別の場での議
: 論で感じる限りでは、一般の日本人は民族性を保持した上での国籍取得制度より
: 定住外国人への権利拡大の方に大きく違和感を覚える様に思います。
: 私と議論してきた多くの論者も、外国人への権利拡大は受け入れられなくても、
: 民族名などを保ったままで国籍は取得できるべきだという人は多くいました。
ありもしない,あるいはありえないことを前提にするほうが,リアリティがないぶん,すんなりと受け入れられるという側面もあるでしょう。いうのは簡単ですからね(苦笑)。
たとえば,ほとんど今の帰化制度で,また在日民族団体がほぼそのままある状態で,在日韓朝鮮人がこぞって日本国籍を取った(取れた)状態をシミュレーションしてみましょう。「通名」として民族名を用いながら,運動家たちが民族的マイノリティとしての権利擁護を主張しはじめます。民族団体は日本で最大規模のNGOなのだからちゃんと助成金を払え,朝鮮系日本人として正当な権利だから日本の学校でちゃんと民族教育をおこなえ,在日朝鮮人の歴史を日本の歴史・社会科教科書にちゃんと掲載しろ,差別は倫理の問題ではなく犯罪なのだから差別を処罰する法律をつくれ,……。いずれも,「国民」として正当な要求です。そして僕は個人的に,在日はそういう戦略をとるべきだと思っている。
でも,そういう状態を想定したとき,いま口では「民族名などを保ったままで国籍は取得できるべきだ」と言っている人も,その主張を曲げずにいられますかね?
ここでちょっと話を心情論にふってみましょう。#368で「事情により匿名」さんが面白いことを書いています。
在日コリアンで現在帰化を躊躇している人も、もし将来、日本が私のような日本人にとっても愛すべき国になったときには、日本人の一員になってもいいと思われるでしょうか? やっぱり現有国籍を変えるのはお嫌ですか?それでもお嫌なのなら、私は二者択一において、「日本人」と名乗る人の意見をおおむね支持します。
非常に率直な意見ですね。ある意味で,とてもよく分かる。僕がもし,ごくフツウの日本人だったらそういう心情だろうな,と思わせるものがある。
その心情を,もっと率直な表現で言いかえるなら,「もし頭を下げて仲間にしてくれと言う用意があるなら,国の一員にしてやってもいい」ということじゃないかと思うわけですよ。皮肉じゃなくて,そういう仁義を通すのって,ゲマインシャフトの一員になるっていうとき当たり前に必要な儀礼ですからね。
まぁ,国がゲマインシャフトかどうかという議論はさておいて(笑)。
ともあれ,そういう心情はよく分かる。でも,こっちとしては,在日という長い歴史のなかで,日本や日本人にいいようになぶりものにされてきた時期だってあったわけですよ。そして今でも,対等に扱われているとは言い難いことがいろいろとある。「頭下げるとすれば,そりゃ,お前のほうだろ?」というのが,こちらがわの率直な感情なんですよね。
「もし日本がかわるとすれば,日本に帰化するかどうか」という問いは,心情論としては,こちらに頭を下げる用意があるかと聞かれているようなものなんですよ。で,もし答えるとするなら,「そりゃ,まず日本がかわってからの話だろ?」というところでしょうか。
ちょっと話が殺伐としてきたんで,心情論のまま,別の話に変えてみましょう。
HANのとびらにも書いてあるように,いま誕生しつつある在日韓朝鮮人の圧倒的多数は,四世以降の世代になっています。それだけ,在日韓朝鮮人が形成されてから,かなりの年月が経過しているということですよ。しかも,在日二世までの圧倒的多数は自営業にしか就職できなかったんで,日本人以上に居住地域への定着率は高いんです。町内会や商工会などを通じた地域活動に参加している人も,したがって日本人よりも多い。まさしく,日本の地に足をつけて働きながら,生活してきたわけです。その間,とくに50〜60年代には,しんどいことだってたくさんあったわけですが,それでもなんとかこの地で頑張って生きてきたわけです。
でも,どれだけ地道に働いて,どれだけ一生懸命に地域活動をやっていても,これまで外国人としてノケモノにされてきた経緯があります。たとえば,僕の祖父は生前,町内会の役員たちからぜひとも会長になってくれとすすめられたことがあります。でも,韓国籍のままじゃ困るから,帰化してくれ,と。(祖父は帰化しなかったから,町内会長にはなっていません。)それでもなおかつ,その地域に生きるものとして,愛着もあるし責務も感じる。できるだけの貢献はしたいと思いながらやってきたわけです。
在日はずっと団塊の世代だったと言ってもいい。煽り,あおられながら,これまで精一杯生きてきた。そういう在日にいま必要なのは,“癒し”だろうと思うわけです。それも,日本人の手による“いやし”であればなおよい。
「これまで,ほんとうにお疲れさま。僕らもできるかぎりのことはするから,これからは気持ちよく日本社会の一員になってよ」
その一言があれば,物語はかわっていくんじゃないかという予感はします。