Posted by 金明秀 on April 04, 1997 at 08:48:55:
In Reply to: 国籍と参政権 posted by 廣 有人 on April 01, 1997 at 23:45:01:
はじめまして,廣有人さん。
僕はこのテーマについて,他の多くの在日朝鮮人とは違う意見を持っていますので,あまりボードで議論したくないのですが,このところ投稿が増えていますので,無視するわけにはいかないかなと感じ始めています。
ところで,最近このテーマで投稿をされる方は匿名がほとんどだったのですが,廣有人さんもメールアドレスは書かれていませんね。より広範な情報交換のためにも,今後の投稿ではメールアドレスを書いておいてください。名前とメールアドレスがなければ投稿を受け付けないということではありませんが,真摯な議論のスタイルを確保するためには,必要だと考えています。
: 理論的には外国人に国民の権利(以下参政権に限る)を与えね
: ばならないという根拠はないし、逆に与えてはならないという根
: 拠もありません。それはひとえに国家の政策にかかっているとい
: えるでしょう。
外国人と参政権(ないし,市民権と拡大して考えてもかまいませんが)について,「理論」は現実を後追いするかたちでつくられてきたにすぎません。まぁ,「権利」といわれるものはだいたいそういうものですが。したがって,このテーマを論じるうえで重要なのは,廣有人さんがいうように,国家および国家間の政策と,それをささえる諸国家の構成員の意識がすべてだと言ってかまわないと思います。
: しかし一般的に参政権は国民固有の権利となっています。常識
: 的に考えれば、ひとつの国家(統治組織)はひとつの国民(民族
: ではない)で構成されるのが普通でしょう。あらゆる共同体にお
: いてその統治的権能をその共同体の構成員にのみ認めるといった
: 性質、あるいは条理があります。したがって国家が参政権をその
: 構成員である国民にのみ与えるのはむしろ当然といえます。
このパラグラフが逆接の接続詞で始まっているのはちょっと不可解です。もしかして,前パラグラフは「外国人に参政権を認める理論もあるかもしれないけど(意味がない)」ということだけを言いたかったのですか?
廣有人さんは「一般的に」と書いてありますけど,その「一般」は時代の政策によって変化してきた,ということが重要だと思います。そして今まさに,国境を越える人間の移動が増加する時代にあって,国民国家の正当性が疑われはじめているという現実があるわけです。
そういう現実を一切無視して「一般に」などと議論をはしょってしまっうような稚拙な議論ならば,正直なところ,僕にはお付き合いする時間的余裕はありません。他の方からのコメントはあるかもしれませんが,「議論」になるかどうか,少々疑わしいと思います。
まぁ,とりあえず続く部分についてですが,まず,もう一度引用します。
: あらゆる共同体にお
: いてその統治的権能をその共同体の構成員にのみ認めるといった
: 性質、あるいは条理があります。したがって国家が参政権をその
: 構成員である国民にのみ与えるのはむしろ当然といえます。
つまり,参政権とはいわば共同体のメンバーシップであって,国家というある種の共同体がその構成員に参政権を限定するのは当然だ,ということですね?
その論法で言うならば,地方公共団体というある種の共同体が,その構成員に参政権を限定するのも当然ですね。国籍にかかわらず,地域住民は地方公共団体の構成員ですから,現在争点になっているように,地方参政権の国籍条項を撤廃することについては,なんら問題がないということになります。
もしかして,廣有人さんは,定住外国人が求めている「参政権」が国政の参政権だと誤解されていましたか?
: ところが個人にとってはむしろ実質的なものの方が重要である
: ので、形式的な統治関係にある国家の国籍にこだわって実質的な
: 統治関係にある国家の国籍を取得しないことは不合理であり、意
: 味がありません。
この点については,一定の留保をおいたうえで,ほぼ同意します。そこでつぎに問題になるのが,日本の国籍のシステムです。日本の国籍は,いわゆる「市民権」とは異なります。一つの視点として,鄭良二さんの「日本籍コリアン・マイノリティ問題とは?」や「松永発言を批判する」をお読みください。
では。